歴史シリーズー歴史の里ー






 昨日の午後、「歴史の里」がリニューアルオープンしたと、皆さんのブログを読み、さっそく出かける。
 ここはずっと前から行きたかった所。特に松本検定を受けてますます行きたくなった。
 おととい奈川に行った時も、本当は川浦の扇屋さんも見物したかったのだけどできなくて、宝来屋さんの中は是非見たかった。
 見てみて、ここにたくさんの女工さんが寝泊りしたのかとすこしびっくりである。飛騨から諏訪まで野麦峠を越えて来たんだよね!すごいことだ。
 社会活動家 木下尚江氏の生家にも大変興味があった。今 私が住んでいるすぐ近くにあった家。昔の下級武士の家としては 大変立派で広いと思う。弁護士から新聞記者、そして最後は社会活動家・・・よほど主張が彼にはあったのだろうか・・・
 長野地方裁判所松本支部庁舎には、明治憲法下の裁判の風景や服装などの展示があった。裁判官の高い席に座り、今後将来裁判員制度が始まったら、この高い席に一般庶民も座らなくてはいけない、何だか厳しいなと思った。
 旧松本少年刑務所独居舎房はとても怖い感じがした。
男の子って怖がりだから、この光景を見たら、ずっと忘れないと思うなぁ。
 そして、旧昭和興業製糸場では、いつもお世話になっている方にお会いし、私と主人に丁寧に説明していただき感謝感激である。実際に機械が動いているとは思わなかったので、生で見られて嬉しかった。
 その他 川島芳子さんの歴史も知ることが出来て、本当に勉強した一日だった。
 ここはたくさんの人に見て欲しい場所だと思う。
今回行けて本当に良かった。帰ってきて写真を見ると、全然うまく撮れていなくて、がっかり・・・まともな写真は裁判所庁舎の写真ばかりになってしまった。
残念!
2007-05-05 (Sat) | 歴史シリーズ | コメント(3) | 
歴史シリーズー県宝・山辺学校ー
 今日はこの町の歴史の勉強

 明治18年 大工棟梁 佐々木喜十の指導で建てられた。
(佐々木喜十は開智学校を建てた立石清重の弟子)
 この校舎の特徴として・・・
和風の「入母屋瓦屋根」「漆喰壁」「障子窓」など
洋風の「八角型高楼」「アーチ式デザイン出入口」など
寺社風の「千鳥破風玄関」「両折桟唐戸の扉」など
     ・・・入り口配布の資料より
 擬洋風建築の校舎は開智学校の「ギヤマン校舎」に対して、この写真でも分かるが「障子学校」と呼ばれている。
 
   

 おとといの午後、山辺学校を見学に行ってきた。
よく前を通るが、中に入ったことは全くなかった。
今まで全く興味がなかったが・・・この町の歴史を調べてみて、ここは絶対に見たいと思った場所のひとつだった。

このオルガンがやってきた時のエピソードはおもしろい。

 当時の学校でのいきいきした勉強風景、この地区の祭りや民族行事の様子、道祖神、松本のお殿様の資料等、歴史に興味がある人にはとっても楽しい場所だと思う。
2007-03-20 (Tue) | 歴史シリーズ | コメント(3) | 
歴史シリーズー重文 旧開智学校ー


 明治9年、棟梁 立石清重によって建てられた。
日本で一番古い小学校のひとつだ。
 木造、桟瓦(さんがわら)ぶき、寄棟2階建て、土蔵作り、ギヤマンガラスを取り付けた和洋折衷の擬洋風建築の建物。
 屋根にある「東西南北」の風見がすごく青空に映える。
観光で松本城のあと、必ず寄るが、その時はその良さを分からないでいた・・・今はこの建物に歴史の重さを感じる。
ただ今、松本の事を再勉強中!
2007-02-22 (Thu) | 歴史シリーズ | コメント(3) | 
歴史シリーズー県宝・旧司祭館ー




 最近、運動不足なので、時間を見つけては歩くようにしている。
昨日も午後から時間ができたので、近場に写真を撮りに行くことにしたが・・・さてどこに行こうか・・・そこで今まで前を通るが、中を見たことがなかった旧司祭館を見学することに。
 この建物は、明治22年に松本カトリック教会のクレマン(フランス人)という神父によって建てられたそうだ。アーリーアメリカン風の建築様式で各部屋に暖炉があり、1・2階にベランダを備え、外壁に下見板張りを施していると、入り口の説明書きには書いてあった。
かっこよく写真撮れたかな・・・
2007-02-05 (Mon) | 歴史シリーズ | コメント(4) | 
歴史シリーズー松本城を救った男ー

 




 今日から、しばらく書いていなかった「歴史シリーズ」を再開しようと思う。
そこで今日は大好きな松本城の話。
今まで松本のお殿様と昭和の大改築の話は書いたが・・・

 松本市は今年5月1日に市制施行100周年を迎える。
そしてそのスペシャルイベントに6月2日から、「ウィーン展 松本城を救ったウィーン万博・ハプスブルグの皇帝たち」というのが開催される。
とっても楽しみにいているイベントのひとつである。
 何故ウィーン展なのか・・・廃藩置県の際、全国の城は取り壊されることになった。そして松本城も民間に払い下げられたが、それを市川量造先生がウィーン万博を参考にして、博覧会を開催。その収益で天守閣を買い戻したといういきさつがある。(写真3枚目)
本丸庭園に入る機会があったら、その入り口にこの写真の石碑が建っている。是非とも見てほしいと思う。

 松本城大好き人間の私は、いつも松本城を見る度に「あの時 競売で売られたままだったら、今のこの天守閣は残っていなかっただろう。本当に良かった!」とつくづく思うのである。
市川先生には心から感謝している。
2007-01-31 (Wed) | 歴史シリーズ | コメント(2) | 
歴史シリーズー有明山神社ー


 『いわさきちひろ』の愛した有明山の麓にある神社。
天の岩戸を開いた神、手力雄命(たちからおのみこと)等を祭っている。
 春の桜と山門のところにあるそば処「くるまや」で、有名。
 魏石鬼(八面大王)が、最後の戦いで立てこもった岩屋がその奥にある。
以前「八面大王がバラバラにされて埋められた」と書いたが、その埋まっている場所は、有明山に一直線に向かっていると言われている。
でも、私は確認していないけど・・・
この写真は前のカメラで撮ったもの。

2005-10-07 (Fri) | 歴史シリーズ | コメント(1) | 
歴史シリーズーしののめの道ー


 友達のラスカルさんから、写真が届いた。
「しののめの道」の案内図の写真。
私がこの町の歴史を調べているので送ってくれた。

 『しののめ』は『東雲』と書く。
明け方の東の空がうっすら明るくなった頃のことを言う。
『ありあけ』『あかつき』とともに、『明け方』を示す。

 その名から、この町の東側の道 つまり東山山麓線の辺りを言う。
松本の殿様の所でも書いたが、その辺りは戸田氏の時代に諏訪高島藩に移されたところでもある。だから『東五千国街道』でもある。
2005-10-02 (Sun) | 歴史シリーズ | コメント(3) | 
歴史シリーズー八面大王2-


 桓武天皇(781~803)の時代、安曇野には魏石鬼(ぎしき)という鬼がいて、手下と共に安曇野を荒らしていた。これが八面大王の事だ。
そこで征夷大将軍、坂上田村麻呂が都から朝廷の命を受け、
征伐にやってきた。
魏石鬼は魔術を使い、散々田村麻呂を苦しめたが、最後には山鳥の尾羽で作った矢を受けて討ち取られた。その体は二度と生き返らないように、バラバラにされて いろいろな場所に埋められた。
これが一般的に語られているお話。
しかしわさび農場の説明とは違っている。
 私の住んでいるこの町に八面大王の首塚がある。
夏は大きなお祭りで盛り上がる『筑摩神社』の横にひっそりと…
我が家の息子達は、そこが首塚と知らずに、そこで遊んでいた。
後から聞いてビックリ・・・でも本当に魏石鬼は鬼だったのだろうか?
 これからも、調べていきたい 明日から10月 月日の経つのは速い。
どんどん歴史が作られていく。
2005-09-30 (Fri) | 歴史シリーズ | コメント(0) | 
歴史シリーズー八面大王1-

 わさび農場が大好きなわけがもうひとつ。
 八面大王のゆかりの地だから…
写真は八面大王の胴塚。
 
 私は八面大王に非常に興味がある。
 彼は穂高では「いい者」だが 朝廷側から見れば「超悪者」になっている。
 そして魔術を使うと恐れられ、二度と生き返らないように、体をバラバラにされ、葬られたと言う・・・すごいことだ!

 これからたくさん調べて真実のところを知りたい。
2005-09-27 (Tue) | 歴史シリーズ | コメント(3) | 
歴史シリーズー傾いた城ー


 昨日も書いたが、松本城は昭和25年から5年かけて改築された。
それまでは、老朽化でかなり傾いていたそうだ。
 
 実際のところは『老朽化』だったのだが・・・
三郷村の多田加助が松本城を睨みつけたから傾いたという当時の噂がある。
貞享3年(1686年)、この年 農民達は水害に苦しんでいた。
多田加助は中萱村の庄屋で、松本藩の過酷な年貢に苦しむ農民達と共に、年貢を減らそうと藩に乗り込む。
これが一揆と見なされ、加助は出川の刑場で磔に。
11月22日は時々雪も舞う天気で、加助は松本城をにらみ、
「2斗5升」を絶叫しつつ息絶えたと言われている。

 今は綺麗に改築された天守閣から市内を覗いてみた。
本当に平和だ。平和ボケしてはいけないと心を引き締める。
2005-09-24 (Sat) | 歴史シリーズ | コメント(0) | 
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